" Kanon" side story "Nayuki's discipline time"


Episode 5: What was a man once


    −かつて、ひとであったものより−


わたしがめざめたとき、
 わたしはすでにひとではなく、
 わたしのまわりにいたのはあなたたちだった。

 かなしみにとざされたおとこのこと、
 おとこのこを助けようとするおんなのこ。

 わたしとおなじ、ひとりぼっちのこころ。
 
 おんなのこはねがう。
 おとこのこがくるしいことをわすれ、わらうことを。

 わたしはこたえる。
 ならば、あなたたちのこころがほしいと。

 ていぎされていないわたしを、定義してくれることを。
 おとこのことおんなのこのこころをえて、わたしはわたしになった。

 そのときから、おとこのこはわたしの父で、
 おんなのこはわたしの母。

 そして、わたしと母はやくそくした。
 かなしみにいだかれた父のこころがよみがえり、
 このつめたい雪がきえさるころ、
 ふたたび出会うことを。

 それがいつになるかはわからないけれど、
 父と母がきずなをとりもどせるかわからないけど、
 それでもわたしは、父と母を待ち続ける。

 ああ、どうかそのときは、
 わたしのねがいが、かなうように・・・・・・


                     -Seneka Aizawa Minase-
         1


「祐一・・・」
「パパ・・・?」
 目覚めは、青い瞳と茶色の瞳。
 気がつけば祐一は、名雪の膝の上で眠っていた。
 名雪とセネカが大きな瞳で、心配げに見つめていた。

「セネカ・・・名雪・・・」
 未だ頭痛が残る頭を抑えながら、祐一は起き上がった。
 くらり、と立ちくらみを起こしそうになる。
「祐一!だめだよ、気分が悪いならまだ寝てないと」
 祐一の体を抑えながら、名雪がいつになく強い調子で言った。

「大丈夫だ・・・気にするな」
「パパ、すごく顔色悪いよ」
 セネカも心配げだった。
「なんとも無い、ただ思い出しただけだ・・・『あの日の俺達のこと』を」
「!?」
「パパ・・・」
 祐一の言葉に、名雪とセネカが硬直する。

「俺達、ここに来ていた・・・思い出してきたよ。
 名雪が、俺を追って必死だったこと・・・ここに『彷徨うセネカ』がいたことも」
「パパ・・・そうだね、漸く、思い出してくれたんだね」
 祐一の体をそっと抱きしめ、セネカが言う。

「祐一・・・・・・私・・・」
「名雪」
困惑する名雪の肩に手を置く。二人の瞳が向かい合う。
「すまない・・・俺、また大事なことを忘れてた・・・ごめんな、心配かけて」
 心から申し訳ないと思う。

 俺は結局、何回名雪を傷つけたのというのだろう?
 こいつはいつも必死で、でも俺はなにも気づこうともせずに・・・
 でも、名雪はこういう性格だから、いつも笑って許すのだ。
 今回もそうだろうなと思っていた。

 だが、名雪の言葉は、祐一が予想していたものとはまったく異なるものだった。

「違う・・・違うんだよ祐一」
 首を横に振る名雪。
「違う?」
 言っていることが理解できなかった。それとも、思い出したのは祐一だけだというのだろうか?
「祐一・・・そこから先、思い出さないで!!」
名雪が叫ぶ。

 触れてはいけないものに触れてしまったように。
 再会の冬の、あのときのように。

「だめだよ・・・それを思い出したら・・・『何もかもが壊れてしまう』!!」
「名雪・・・それはいったい?」
 理由が解らない。

 2人の記憶の最後のひとかけら。
 それを、名雪は知っているのか?

「私にも解らない・・・けど、それを思い出したら絶対にダメ!!」
 知らない?でも、それを思い出すことは、何かとてつもないことを引きおこすのだろうか?

「ママ」
 当惑する祐一の横で、セネカが言う。
 その瞳は、いつものセネカからは考えられないほどに峻烈で、罪人を処断する裁判官のように鋭い。
「今は、まだ思い出せないかもしれない・・・・・でも、そのときは来る。
 それは決して遠い日じゃない。ママとセネカとの約束が果たされる日は。
 ママとパパがここに来たことが、その証だから・・・」

「い・・・いや」
「名雪!?」
 セネカから後ずさり、名雪が頭を抱える。
「いやだよ・・・・・・私・・・そんな」
「ママ!」
 セネカは、そんな名雪に、更なる言葉を浴びせる。
「いやだ・・・いやだよっ!!」
「名雪!?おい、名雪!?」
 名雪が走り出し、階段を下りていく。すぐさま祐一は後を追う。



「セネカ・・・」
 階段を下りる直前、一度だけセネカに振り返った。

「行ってあげて、ママのところへ」
 淡々とセネカは言葉を紡ぐ。

「セネカ、お前は・・・」
 言いかけて、何を訊ねればよいのだろう、という疑問にぶち当たる。

「全てはもうすぐわかることだから・・・ママを支えてあげて。
 それに、これがパパとママのディシプリンと言うのなら、ママを助けることが出来るのは、パパだけだから」
 それ以上セネカは何も語らず、ただただ祐一を見つめるのみ。

「良く解らない・・・だけど、名雪のところへ行く」
「うん、それでいいよ・・・」
 そして階段を駆け下りる祐一。

「これで・・・『願いが叶う』・・・でも・・・ううん、大丈夫だよね」
 去り行く祐一を見つめながら、セネカは呟く。

 セネカの言葉は、誰に向けられたものだというのだろうか・・・・・・?


         2


「くそ・・・名雪のやつ、いったいどこへ・・・?」
 祐一はあの後、名雪を探して町中を歩き回っていた。

 太陽は中天から大きく西に傾き、後わずかで夕焼けがこの街を照らすのだろう。
 それにしても、結局どういうことだろうか?
記憶が定かではなかった頃は、思い出すことが目的だった。
 だがいざ思い出し、最後の1ピースというところで名雪は記憶を拒絶した。
 祐一もまだ、それは思い出していない。

「く・・・」
 誰にともなく、毒づいたときだった。

「あれ、祐一君?」
「!?」
 聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ってみると、あゆがそこにいた。
 手には買い物袋を携え、目を丸くして俺を見ている。
「なんでお前がここに・・・?」
「それはボクの台詞だよ。それに名雪さんは?」


 そして二人はお互いの状況を話した。
 セネカのこと、忘れている記憶のこと、名雪が行方不明なこと。
 そしてあゆも、秋子の先生のこと、二人に頼まれてお使いに来たことを。

「・・・そんなことが、あったんだ」
「信じられないだろうな。実際、俺もどこまでが正しいのかわからん」
 祐一の額から汗が流れる、もう何時間名雪を探し回ったのだろうか。

「信じるよ。祐一君、嘘は言わないもん」
 はい、とあゆがハンカチを差し出した。
「約束は、よく忘れるけどな」
あゆのハンカチは、白いレースがあしらわれた女の子らしいものだった。
 ありがたく使わせてもらい、汗をふき取る。

「でも・・・セネカっていったよね?」
「ああ」
 考えてみれば、セネカをほっぽり出して来たことに祐一は気がついた。
 セネカは大丈夫だろうか?

「その人の正体・・・多分ボク知ってるよ」
「何だって?」
 一呼吸置いて、あゆは話し始める。

「秋子さんの先生、芹香さんの話をしたよね」
「ああ」
「その人には、多分祐一君達が行った教会で死んだ、お孫さんがいたんだよ」
「何?」
「今から8年前にそこで火事があって、芹香さんの娘夫婦とその赤ちゃんが亡くなったんだって」
 そういえば、教会が何故崩壊していたのか祐一はまるっきり知らなかった。
 火事にでもあったらしいとは思っていたが・・・

「祐一君、セネカって人はきっとその子だと思う。瀬音香っていう名前の」
 そこまで言われて、祐一はあの教会での記憶を呼び起こす。
 確か、あの時見たのは淡く輝くペンダント。
 しかもそれは今のセネカが付けているもの。

「『自分が出来る』前に死んだ、真っ白な魂が俺達の意志に呼応したのか・・・?」

 セネカは『セネカを知覚したのが、パパとママ。だから、セネカはパパとママの娘、だよ』と言った。

 記憶を辿れば、祐一がペンダントを拾った瞬間にセネカは目覚めた。
 そして、名雪が『この子泣いてるよ』と言ったときに姿が作られた。

 ゴーストは、ヒトが定義することによって生まれるという。
 それ単独では『知覚できない存在』である『魂』が、ヒトの意識がその存在を認めたときに『ゴースト』になる。
 つまりセネカとは祐一と名雪の意志、そして瀬音香の魂が組み合わさって生まれたゴーストというのか?

 なら、いったい何のためにそんなことを・・・?
 それに、名雪はそんなあの子に一体何を約束したというんだ?

 余計に疑問が大きくなってゆく。


「祐一君」
 困惑する祐一にいつになく真剣な表情で、あゆは言った。
「あゆ・・・?」
「早く、探してあげよう?」
 あゆの大きな赤い瞳が、祐一を捉えて放さない。

「ボクには二人に何があったのかわからないけど、これだけは言える。
 名雪さんは、きっと全てを犠牲にしてもあのときの祐一君を助けようとした。
 それを思い出すことは、もう出来ないくらい辛いことと引き換えに」
「あゆ・・・おまえ」
「約束したんでしょ?どこまでも支えてあげるって」
 そして、あゆはにっこりと微笑んだ。

「ボクも手伝うよ。それに」
「それに?」
 あゆが走り、そして振り返った。

「名雪さんは、祐一君を、待ってるよっ!」
 斜光に満たされた街を、走るあゆ。
 あゆの体を満たす光は、翼のようで。

 何故か、あの冬の日が思い出された。


         3


「名雪さん・・・?」
「美凪さん・・・?」
 そして名雪は、美凪と出会っていた。
 どこをどう走ったか覚えていない。
 ただ、気がついたら美凪の家の前にいたのだった。

「お連れの方は、どうされましたか?」
「・・・・・・・」
 その言葉に、名雪が表情を曇らせる。

「と、思いましたが、どうでもいいことですね」
 美凪は直感的に、3人になにか起こったことを理解していた。
「冷えたお茶でもいかがですか?」
 美凪はそういって名雪の手をとる。
「あ・・・ありがとうございます」
 今は、美凪のそんな気遣いが嬉しかった。
 この人は、あの時と同じく優しいなと、名雪は思った。


「どうぞ」
 美凪が茶を差し出す。
 ガラスの器に水出しした緑茶。薄い緑が綺麗だった。
「ありがとうございます・・・」
 よく冷えたお茶に口をつけ、それからしばらく沈黙が流れた。

「人には・・・決着を付けねばならないことがあります」
 唐突に、美凪はそんなことを言った。

「美凪さん?」
 いきなりの美凪の独白に、名雪は微かに困惑していた。
 美凪は名雪の様子とはお構いなしに、話を続ける。

「私の妹は、生まれることが出来ませんでした」
「?」
 そういえば、あの時美凪の母は身篭っていた事を思い出した。
 しかし『生まれることが出来なかった』とは?

「死産だったのです。それ以来母は精神を病み、父は母を捨てました」
「・・・・・・」
 その衝撃的な独白に、名雪は言葉を失う。
「そして私は、一人の女の子と、一人の男の方に出会いました」
「・・・・・・」
 なにか自分に似ている、と名雪は思った。

「その女の子は、生まれることの出来なかった私の妹でした」
「!?」
「信じられないかもしれません・・・ですけど、その子はたしかにそうでした」
 天井を仰ぎ見る美凪。

「そして、その子と男の方のおかげで、私はいろいろな事を乗り越えることができました」
「その人たちは・・・?」
「あの子は天へと帰り・・・男の方は、旅に出ました」
 旅芸人の方だったんです、と付け加えて。


「どうして、その話を私に?」
「セネカさんは『この世のものではありませんね』」
「!」
 美凪の言葉。
 それは名雪に衝撃を与えるに十分な重みを持っていた。

「どうして・・・?」
「あの子と同じなのです・・・よくは解りませんが、雰囲気のようなものが」
 そういえば、セネカに頼まれて祐一に手紙を出したのは美凪ではなかったか。
 美凪はある程度は知っていたのだ。セネカのことを。

「セネカさんが、あなた達にとって大きな意味を持つことはわかりました。
 だからこそ、あなた達をお呼びしたのです」
「どうして・・・」
「?」
 名雪は拳を握り締め、俯く。

「どうして、私達を呼んだんですか!?」
 美凪を見つめ、名雪は叫ぶ。
「祐一にも、私にもあのときのことは『触れてはいけない』ことです!
 なのにどうして・・・・・・」
 名雪は再び俯く。

「でも、あなた達は来てしまいました」
「・・・・・・」
「その気になれば、無視することも出来たでしょう。
 あなたが『行くな』と言えば、相沢さんを引き止めることも出来たでしょう」

「これはディシプリン(辛いこと)です。ですけど、あなた達がまいた種でもあります。
 まいた種を刈り取ることは、あなた達の役目です」
 美凪は立ち上がり、窓の外を見る。
 いつの間にか日は傾き、少しずつ街は落日の様相を呈し始めていた。

「・・・死に至る筈の者がこの世に残るということは、どれほどの想念を抱いているか解りますか?」
ブラインドを指でよけて、美凪は外を見つめる。
「分かっています・・・私も、そういう人を見てきました」

 かつて妖狐と呼ばれた少女。
 彼女は、たった一つの思いで名雪たちの前に姿を現した。

 此岸と彼岸を彷徨い歩いた少女。
 彼女は天使の翼を背負って、幾つもの奇跡を導いた。

 いつかの夜、空を走る列車。
 宿命に翻弄された人、そして、それに抗った自分達。
 死の重さは、誰よりも知っている。


「信じてあげることです」
「美凪さん・・・」
 名雪の瞳を見つめ、美凪は言う。

「あなたと、相沢さんと、セネカさんを」
 その瞳は穏やかながらも確かな母性を湛え、
 彼女の雰囲気に包まれるものを安心させる不思議な輝きに満ちていた。

「セネカさんは、あなた自身です」
「私・・・自身?」

「そう、小さな体で、必死に大切な人を追い続けてきたあなた自身です。
 そして、相沢さんはそんなあなたを受け入れてくれたのでしょう?
 あなたとセネカさんの間にどんなことがあったとしても、それは決して不幸なことではありません」
「信じる・・・か」
 そこではじめて、名雪に微笑が戻った。

「私と祐一が『本当に恋人同士になれた』のも、信じることでした、そういえば」
 あの冬の日を思い出し、名雪が感慨深げに言った。
「恋愛は、信頼が大切ですよ」

「ええ、その通りです・・・私、もういちどセネカちゃんに会います」
 立ち上がる名雪。

「今なら、その覚悟が出来たから・・・」



「私も・・・見届けるべきですね」
 名雪が去った後を見つめながら、美凪が立ち上がる。
 そうして美凪は名雪を追う。

 その真実を、見届けるために・・・・

         4


 名雪が教会にたどり着いた頃、世界は赤く染まっていた。
 黄昏の光景が、教会を支配していた。
 落日の斜光は白い壁を赤く染め上げ、空は緋色に染まり、
 風無き夕凪の大気は、その空間の時が止まったようにすら感じさせた。

 青い髪の少女達は、そこでただ二人、存在していた。

「来てくれたね・・・ママ」
 教会のマリア像の下に立ち、壊れかけた燭台を指で弾いて遊んでいたセネカが振り返った。

「ごめんね、遅くなったよ」
 名雪はいつもの口調を崩さず、セネカの下へと歩み寄る。

 そう、それはさながら娘を迎えに来た母のように自然で、
 その歩みにはいささかの迷いも躊躇いもなかった。

「まてよ・・・」
 そのとき、二人の間に割り込んだ声。

「祐一・・・」
「パパ・・・」
 振り返る、二人の少女。
 二人はやがてここに戻ってくる。祐一には何故かそれがわかっていた。

「俺だけ、仲間はずれはないだろう?何せ俺は、名雪の旦那でセネカのパパだからな」
 壊れた扉の前で、息を切らせながら祐一は言った。

「そう・・・たしかにそうだよ。パパがいなければ、セネカは生まれなかった」
 セネカはマリア像を見上げながら、ゆっくりと言った。

「でも、約束をしたのはママなんだよ・・・」
 セネカの瞳は揺らめく陽炎のような不思議な輝きに満ちていた。
 それは喜びのようでもあり、悲しみのようでもあり。
 少女の揺れる心を映す鏡として、2人に映った。


「約束、したんだよね」
 名雪は優しく、そしてはっきりと言った。
「うん」
 セネカは頷く。

「『返して、あのときの記憶を』そうすれば・・・約束を果たすことが出来るはずだから」
「そうだね。あれだけは、パパは関係ない。ママとセネカの約束・・・そしてディシプリン」
 腰をかがめ、名雪はセネカと視線を合わせる。
 セネカはつま先で立ち、名雪の額にそっと唇を当てた。

 輝く、セネカのペンダント。

「セネカ・・・お前は?」
「パパにも、見せてあげるよ」
 そして祐一にも、名雪にそうしたように唇を当てる。

 ・・・かくて祐一と名雪は、共通の夢を見ることになった。


         5


 そして、最後の記憶を2人は見ていた。

「泣いてる・・・この子、泣いてるよ」
 自分の腕の中に抱かれた赤子を見つめながら、名雪は言った。
「悲しいことがあったんだな・・・」
 祐一は、そんな赤子の額をそっと撫でる。

「祐一?」
「こいつは、見ての通りこの世のものじゃない・・・
 ひとりぼっちで、こんなところにいるんだ。俺と同じだ・・・」
 赤く霜焼けになった手で、祐一は赤子を撫で続ける。

「ひとりぼっちじゃない!!祐一には・・・・・・」
 名雪には、私がいるという言葉を言えなかった。
 祐一の心を閉ざした悲しみの扉を、開くことになるであろうから。
 その言葉を唱えていたら、今度こそ祐一は名雪を完全に拒絶したであろうから。
 おまえに何がわかるのかと言って・・・

「・・・この子がいるよ」
 そして名雪は、祐一がまったく予想だにしなかった言葉を言った。

「どうして・・・そう思う?」
「だって、この子は『祐一が作った』んだよ」
 訳のわからない答えを、平然と名雪は言った。

「この子は、私達が来るまでずっと一人だった。一人ぼっちの幽霊だった。
 でも、祐一がこのペンダントを拾った。だから、この子は目覚めた」
 赤子の胸にあるペンダントを指差しながら、名雪は言う。

「だったら・・・名雪も同じだろう?
 おまえが『この子泣いてるよ』って言った瞬間、こいつはこんな姿になった」
 それまでは、ただペンダントに宿る『ヒトの残滓』にしか過ぎなかったのだから。

「それなら、この子は私達の子供だね・・・」
 その子を強く抱きしめながら、名雪は言う。

−あうぅぅ?−
 そこで赤ん坊は泣き止み、瞳を開いた。

「そうなるんだろうな・・・」
 包まれた布から見える髪の色は名雪と同じで、開かれた瞳は祐一と同じ色。
 そう、この子は『2人が定義した』から存在するのだ。
 いまならそれが良くわかる。


 そして2人は再び沈黙の世界に身を落とした。

 吹き荒ぶ寒風は、容赦なく2人の体温を奪っていく。
 小さなコートが意味など成さないその風雪は、祐一と名雪を死へと誘っていく。

 名雪に、悪いことをした。

 死の予感は、祐一にそんな気持ちを呼び起こさせていた。
 死ぬのは、別に構わなかった。
 「あいつ」の元に行くのなら、それもいいかもしれないと思った。

 だが、名雪は関係ない。
 名雪はただ、純粋に俺を心配してここに来ただけなのだ。
 そして俺のために、運命を共にしようとしている。
 せめて、名雪になにかしてやりたい。そう思った

 だから、祐一は言葉を紡いだ。

「名雪・・・結婚しようか」
「祐一?」
 祐一のいきなりの言葉に、目を丸くする名雪。

「結婚したかったんだろ・・・俺なんかでよければ。舞台はおあつらえ向きだ。
 一応、ハッピーエンドになるんじゃないか?」
 祐一は思い出していた。
 教会は死を司る場所であると同時に、生も司る場所でもあることを。
 生涯の絆の盟約を、結ぶ場所でもあることを。

「そうじゃないよ・・・結婚したかったんじゃない。それは一つの形であるだけ」
 名雪も赤ん坊を撫でながら、微かに微笑んだ。
「形?」
「そう、形。私は祐一と二人でいられればそれで良かったよ。そしていつか結婚できたら、それは素敵だけど」
 名雪は赤子を抱いたまま、立ち上がる。

「私は、祐一と一緒にいたい。ここにずっといたら、それは叶わないよ」
 座り込んだままの祐一に、名雪はそっと手を差し出す。
「だから、もう一度立って、祐一。もうちょっとだけ、がんばろ?・・・私は、『エンド』は嫌だから・・・」

 降りしきる雪を背景に、雪の少女は微笑む。
 その右手を、差し出しながら・・・・・・


         6


−俺は馬鹿だ−

 そのとき、祐一は心底そう思った。

−俺は苦しくて全てを投げ出していた。
 だが、名雪は違っていた。
 どんなに苦しくても、投げ出したくても、まっすぐに俺を見つめている。
 馬鹿なくらいまっすぐで、そして一途な少女。
 最後まで希望を持ち続ける、俺なんかよりずっと強い少女−

「うう・・・」
 だが、祐一にはその気持ちを受け入れることが出来なかった。
 心を穿つ悲しみは深く、立ち上がることを祐一の中の祐一が拒んでいた。

−どうして、立たないの?−

「?」
「!?」
 名雪の腕に抱かれた赤ん坊が喋っていた。
 否、死んでいるのだから喋っているというよりも、直接意志を伝えたかのような感覚だった。
 そして赤ん坊の周りに二つの別の光が現れていた。その光が意志となり話していた。
 一つは年若い女の声、もう一つは男の声。

−その子は立つことを願っている、君も本当は立ちたいんだろう?−
 声は、祐一の心を貫くように俺に届く。

「立てない・・・俺には、その資格が無い・・・」
 解っていた。

 目の前で「あいつ」を失った祐一は、名雪を傷つけすぎた。
 そんな自分に、名雪の優しさを受ける資格など無いことを解っていた。

「祐一・・・私はいいよ!資格なんか要らない!!だから立って!!」
 名雪の言葉に偽りは無い。
 ただただ、心の底から祐一を想っている。

−資格・・・って、何?−
 声が、祐一に問う。

「俺は、目の前で大切な人がいなくなることを、ただ黙ってみていた・・・
 そして、名雪を傷つけすぎた・・・
 そんな俺に、誰かに助けてもらう資格が・・・あるっていうのか?」

−なら・・・それがなくなるといいのか?−

「何だと?」
「どういう・・・ことなの?」
 その言葉に、祐一と名雪は顔を上げる。

−あなたが望むなら・・・この子があなた達を縛る鎖を、肩代わりしてあげる−

 やがて赤ん坊の姿が光に満たされる。
 光の中で赤ん坊は成長してゆく。

 無垢な瞳に意志が宿り、輝きが生まれる。
 手足に筋肉が宿り、両足は地面を捉える。
 たおやかな両手は空を舞い、白磁器のような白い肌を見せる。
 深い海のような青い髪が、微かに揺れる。

 そしてその姿は、2人よりわずかに幼い少女の姿へと変わっていた・・・・・・


         7


 そのころ・・・

「秋子さん!芹香さん!」
 息せき切ったあゆが佐倉家に飛び込んでくる。
「どうしたの、あゆちゃん?」
 はあはあと肩で息をするあゆに水を差し出しながら、秋子が問う。
「どうしたんですか、そんなにあわてて?」
 芹香が台所から顔を出した。

「芹香さん・・・例の教会って、どこですか?」
 あゆの瞳に映るのは真剣な意志。
 この少女は、なにかとてつもなく大変なことを伝えようとしている。
 芹香にはそれが解った。
 そして次の言葉を聞いて、驚愕に顔色を染めた。

「瀬音香さんは・・・まだ『消えていない』」
「なん・・・ですって?」
 更に次の言葉は、秋子すら驚かせるものだった。

「瀬音香さんは、祐一君と名雪さんのところにいる・・・」
「あゆちゃん・・・それって!?」
「秋子さん・・・『本当はそのために』ここに来たんでしょ?」
 あゆがここに来たこと。
 祐一とここで会ったこと。
 単なる偶然と言うには、あまりにも一致しすぎていた。

「あゆちゃん・・・解ってしまったのね」
 秋子は頷く。
「8年前、あなたが永い眠りに入った頃、祐一さんは心を壊していた」
「祐一君が?」
「あゆちゃんを目の前で失ったショックが大きかったのね」
 あゆにははじめて聞く話だった。
 だが、考えてみれば祐一は全てを忘れていたのだ。
 それも、そのときの衝撃が大きかったのかと考えれば合点がいった。

「祐一さんは彷徨い歩き、この街にたどり着いたの。
 偶然、ここに祐一さんがいることを知った名雪は、祐一さんを追いかけてここに来た」
「それで・・・?」
 芹香が半ば呆然としながら問う。

「あの二人は何も覚えていなかった・・・
 でも、あのときの記憶が呼び起こされようとしているらしいのです」
「まさか・・・瀬音香さんも、それとなにか?」
 祐一、名雪、そしてセネカ。
 そしてセネカが死人というのなら、それは歓迎されざる事態が二人に起きていること。
 あゆにはそれが良くわかった。

「案内します」
 芹香は毅然と立って、言った。
「先生・・・」
「もし、それが本当なら・・・私の孫に、何かをさせるわけには行きません」
「芹香さん・・・」

「行きましょう。それは祐一さんと名雪さんの問題かもしれません。
 でも、私たちにも心配する権利はありますから・・・」
 いつもの微笑を浮かべ、芹香は言った。

 頷きあうあゆと秋子。

 全てはあの場所で終わる。
 そんな確信めいた予感と共に、3人は走り出した・・・

                         to be continued.....

  次回予告

 遠い日の想い。
 雪の日の約束。

 少年の絶望。
 少女の慈愛。

 夏の日の再会。
 真実との邂逅。

 少年と少女が生み出した、冬の日の奇跡。
 少年と少女が決着を見出す、夏の日の奇跡。

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Last Episode "My lost love hunting your lost face"

全てのdiscplineの終焉・・・そして始まり。

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