" Kanon" side story "DEPART FROM THIS WORLD"


      第IV章 果てる者の宿命


 −人生は水の流れであって海へ向かう。
    海は死であり、そこで終わる。
     最も権力を持つものよ、
      汝もそれを受け入れ、消えて行かねばならない−

                   −ホルヘ・マンリーケ−


         1


「舞、落ち着きましたか?」
 ひとしきり泣き続けた舞に向け、佐祐理が声をかけた。

「ありがとう・・・大丈夫」
 子供のように泣いていたことに照れて、微かに舞が頬を赤らめた。

「よかった・・・」
 我が事のように名雪が安堵の表情を浮かべ、2人に微笑みかけた。

「ありがとうございます」
「ありがとう」
 佐祐理と舞がそれぞれ名雪に礼を述べ、秋子を見つめた。

「で、お母さん。説明してくれるよね。ここがどこで、何のための場所なのか」
 3人の意見を代表して名雪が言った。

「ええ・・・勿論よ。それは・・・・・」
 秋子が言葉を紡ごうとしたときだった。

「あなた達にとって、必要なことですからね」

「?」
 突如、聞き慣れない男の声が聞こえた。名雪が辺りを見回す。

「あれはっ!?」
 舞が指さした先に、1人の男が立っていた。

 夜の闇を切り取ったような黒い大きな帽子をかぶり、同じ色のコートを羽織り。

 そしてその男の顔は名雪達が見覚えがあった顔だった。

「あなたは・・・店主さん?何故あなたがここに?」
 佐祐理が驚きに目を見開いて男を見つめた。

 忘れようはずもない。昼間に骨董屋で出会った、あの店の店主だったのだ。

「お久しぶりですな・・・秋子さん。生命の巫女よ・・・」
 店主は彼女たちに微笑みかけた後、表情を引き締めて秋子を見る。

「そうですね・・・CHAOS(ケイオス)。生命の守人さん」
 いつになく表情を固くして、秋子が答えた。


       2


「CHAOSさん・・・で、よろしいですか?」
 沈黙を破ったのは佐祐理のか細い誰何の声だった。

「はい。改めて自己紹介をしましょう。私はCHAOS。この星の命の流れを見つめ、守る者です」
 店主CHAOSが改めて名雪、佐祐理、舞に向けて一礼し、名乗りをあげた。

「あ、初めまして、水瀬名雪です」
「・・・川澄舞」
「初めまして、倉田佐祐理と申します」
 気品に満ちあふれたCHAOSの物腰に慌てて3人が名乗った。

「さて、何から話せばいいのかしらね・・・」
 秋子が部屋の天井にはめ込まれたステンドグラスを見つめ、嘆息していた。

 その横顔は憂いに満ち、これから起こるであろう事に心底不安を抱いていることを3人に容易に理解させた。

「お母さん・・・私達から聞いていい?」
 言葉を迷う母の気持ちを察してか、名雪が問うた。

「そうですな、その方が良いかもしれませぬな。何なりとおたずねください名雪さん」
 CHAOSが頷いた。


         3


「じゃあまず、ここはどこ?」
 舞が訊ねた。

「ここは、魂の還るところ・・・の、入口とでもいいましょうか」
 CHAOSが遠い目をしながら答えた。

「死後の世界・・・?」
 舞が怪訝な表情を見せた。

「それは正確であり、正確ではありません・・・」
 秋子が答えた。

「正確ではない?」
 佐祐理が問い返した。頷くケイオス。

「はい。佐祐理さん、あなたは『命』というものが何であるか御存知ですか?」
 CHAOSの黒い瞳が佐祐理の瞳を捕らえて離さない。

 その真摯なCHAOSの瞳に佐祐理が僅かにたじろいだ。

「あはは・・・解りません。佐祐理は頭の悪い子ですから」
 とはいえ答えられる問いではない。佐祐理は正直に答えた。

「では逆に問います。『死』とはなんでしょうか?」
 佐祐理の答えに更にCHAOSが問いかける。

「心臓が止まること?脳が機能しなくなること?」
 名雪が哲学の授業で聞いたことを思いだして言った。

 脳死を認めるか否かという事で論議したことがあったからだった。

「そう。あなた方の場合は肉体の機能を失う。
 つまりマテリアル・フォー・ソウラスの崩壊と考えるのが一般的でしょうな」

「マテリアル・フォー・ソウラス?」
 聞き慣れない言葉に舞が首を傾げた。

「ソウラスのための物質・・・ということ?っていうか、ソウラスってなんですか?」
 名雪がとりあえず直訳してみた。

「ソウラスとは『全ての意思の根源』。
 この宇宙にあまねくありとあらゆる生命の『意思』を司る存在」
 答えるCHAOS。

「ということは、ソウラスとはまさか・・・魂!?」
 佐祐理が叫んだ。

 生命の意思を司るもの、それを人は魂と呼ぶ。

 馬鹿げた答えと普段なら笑う。
 が、舞に取り付いた「あれ」を見た後では魂という存在がとたんにリアリズムを持ってくる。

「それは半分は正解であり、半分は違うのです」
 今まで黙っていた秋子が、ゆっくりと口を開いた。



「・・・半分ですか?」
 佐祐理が疑問の色を浮かべた。

「そうです・・・ソウラスはそれ単独では単なる素粒子でしかないのです」
 秋子が答える。

「素粒子って、この世で最も小さい単位と言われるあの素粒子ですか?」
 佐祐理が訊ねた。

「ええ。ただそれは普通の素粒子とはちょっと違うの。ソウラスは『命を作る』素粒子なのよ」
「命を・・・作る?」
 舞が怪訝な表情を浮かべて秋子を見た。

「そう・・・ソウラスそれ自体はこの宇宙のどこにでも存在しているわ。

 ソウラスウェーブ(Soulus Wave)、ソウラスの流れとして。

 そして何らかの物理的な現象として生命が生み出される・・・

 その時、その生命に付着して生命を生命たらしめる。
 そして成長と共にソウラスは魂(SOUL)となる」

「そして死とともに解放されてソウラスに戻る?」
 名雪が訊ねた。

「ええそうよ・・・

 でも、長い時を経て形成された魂はそう簡単には崩壊しない。

 そのために魂を『崩す』必要があるの。ソウラスウェーブに回帰させるために。

 ここはそこへと至る『特異点』なの。

 ここにはソウラスが通常の何十倍という濃度で存在している。
 ・・・佐祐理さん、あなたの怪我がすぐに治ったのもここにあるソウラスの『命を作る力』によるものです」

「つまりは、俗に言う黄泉の入口、或いは死者を裁く場所・・・ですか」
 佐祐理の問いにCHAOSと秋子が頷いた。

「だからここは『タナトスの場』と呼ばれるのです」
 秋子が言う。

「タナトス・・・死の神様の世界ということですか?」
 佐祐理が訊ねた。

 タナトス。
 それはとはギリシャ神話における神。
 ヒュプノス(眠り)オネイロス(夢)と共に冥府の王ハーデスに仕える神の名である。

「左様です・・・この世界はタナトスが御作りになられた。

 いわば『死を理解させる場所』ということです。

 そしてこの世界はタナトスの『巫女』を中心として作られた。
『巫女』の力が命をソウラスに戻す役割を担っているのです」
 CHAOSが頷いた。


         4


「では次に・・・舞にとりついた『あれ』は一体何なんですか?」
 佐祐理が次に訊ねた。

「取り付いた・・・?舞さんは何かに取り付かれてあんなになったんだ」
 名雪が漸く納得したのか頷いた。

「あれは・・・ヒトのなれの果てです。
 不本意な死への従属をよしとせず、再び復活を考える哀れな魂です」
 CHAOSが言った。

「つまり・・・非業の死を遂げて、死を認めたくない人達の亡霊?」
 舞が彼等の言葉と今の秋子とCHAOSの説明から正体を推測してみた。

「そんなところですね・・・それが舞さんの『力』にすがったのでしょう」
 秋子が頷いた。

「力?」
 名雪が不思議な顔をして舞を見る。

「・・・私には不可視の力というものがある。
 それでお母さんを助けたり・・・魔物を産んだりした」
 舞がぽつりぽつりと呟く。

「別にそれ自体は珍しいことでもありません。
 奇跡使いや超能力者と呼ばれる存在は数多くいます。気にしなくても大丈夫ですよ」
 秋子はそう言って舞の肩に手を置いた。

「死んでもなお・・・か。ヒトって・・・哀しいね」
 名雪が呟き、寂しげな視線を改札に並ぶ人達に移した。

「でも、いままでそんなことはなかったんですよね?だのに何故今になってそんなことが?」
 佐祐理が至極当然の疑問を呈した。

 確かにそれならば世界は悪霊たちに満ち溢れ、暴走した奇跡使い達で埋め尽くされることになる。

「それは・・・今は何とも言えません」
 秋子らしからぬ歯切れの悪い答えだった。


         5


「それじゃあ、祐一とあゆちゃんはどこにいったの?」
 名雪が訊ねた。

「祐一、あゆ?祐一さんやあゆさんがここにいるんですか?」
 佐祐理が名雪を見る。

「あゆちゃんがまるで何かに呼ばれるようにここに入っていって、
 そして祐一もあゆちゃんを追って入っていったんだよ。呼ばれた!?まさか・・・?」
 名雪が自分の不意に言った言葉に何かを感じていた。

 魂達の呼び声を聞いたあゆ、ということはまさかあゆも舞と同じというのか?

「奇跡使い・・・或いは『祭祀』か『番人』それとも『人柱』の後継者でしょう」
 ケイオスが答えた。

「『祭祀』?」
 舞が首を傾げる。

「今のような事態を起こさぬために、この場所を管理する『番人』と呼ばれるものがいるのです。
 そして現世にてこの場を管理する『祭祀』も
 また、この世界の糧となり、力尽きるまで魂を捧げる『人柱』も」

「CHAOSさん!」
 秋子が突如叫びをあげる。

「お母さん・・・?」
 名雪が秋子を見る。

 秋子は震えていた。

 肩を振るわせ、瞳には涙を浮かべ、

 さながら触れてはならない何かに触れてしまったような感じを受けた。

「私とてあなたを苦しめるのは本意ではありません。
 ・・・ですがこうなった以上教えぬわけにもいきますまい」

「・・・・・・・・・」
 押し黙る秋子。CHAOSは更に続けた。

「名雪さん。よくお聞きなさい。事は18年前、丁度あなたが生まれてすぐの頃にさかのぼるのです」

「18年前・・・?」
 名雪はそのころ生まれたての赤ん坊だった。

 知るわけもない遠い記憶に名雪は思いを馳せる。

 そしてCHAOSは名雪を名指しした。明らかに自分の知らない何かをこの男は知っていた。

「そう・・・その少し前、今と同じような事が起きたのです。
 ソウラスの流れが乱れ、黄泉の悪鬼達が地へと舞い戻るという現象が
 ・・・当然地上は様々な影響を受けました。
 生まれたばかりの赤子が死んだり、理由不明の殺人鬼が現れたりしました」

「それって・・・私が生まれた頃?」
 舞が訊ねた。

 理由不明の殺人鬼という言葉とさっきまでの自分が重なって見えたからだった。

「左様です舞さん。
『奇跡使い』はソウラスの乱れが著しいときに様々な要因が絡み合って生まれます。
・・・・・・あなたの力もおそらくはその時に」

「やっぱり・・・なんとなくそうだとは思った」
 舞が俯いて言った。

「話を続けましょう。死者の生への執着は非常に危険なもの。
 故に死者の魂を管理する者が必要だった。
 特に特異点であるこの銀河鉄道はなおのこと」

「それが・・・『番人』?」
 名雪が訊ねた。

「そうよ名雪、そしてあのような乱れが起こるときは『番人』が力を失うとき、
つまりは新たな『番人』を『この地』が求めるの」
 秋子が説明を引き継いだ。

「ちょっと待ってお母さん!じゃあ・・・祐一は?あゆちゃんはどうなるの?」

「『祭祀』となればこの街で次の『番人』が現れるまでこの街に留まることになります。
 そして、次の『祭祀』や『番人』の後継者を探すことも役割。
 秋子さんや私が持つ力はその際にこの地から賜ったものなのです」
 叫ぶ名雪にCHAOSが答えた。

「では・・・CHAOSさんと秋子さんは『祭祀』なのですか?」
 佐祐理の問いに頷く2人。

「もしかして『これ』はそのために渡した?後継者である祐一たちを導くために?」
 名雪が懐から例のポストカードを取り出した。

「その通りです。あのガラス細工もそのためのもの、後継者をこの場へと導く物」
 CHAOSは重々しく頷く。

「なら、いったい誰が・・・」
 舞が問う。

「あなた達の誰が次の役割を担うかは私にもわかりません。
 それは『あなた達がどうするか』この場所で決めることだからです。
 ただ、今回は更に状況が悪い・・・」

「状況が悪い?」
 名雪が尋ねた。

「先にも申し上げたとおり、『人柱』という最も大きな役割があります。
 今回は、あの方も力を失いつつある・・・」

「でも、私には力なんて・・・」
 とりあえず自分にはそんな素養はないように思えた名雪が言う。

「無いと言い切れますか?」

 言葉に詰まる名雪。いつかの冬の日の奇跡。
 あれは本当にあゆだけの手によってのみ行われたことなのだろうか?

 信じる力が奇跡を生むとあゆは言った。
 なら、気がついていないだけなのだろうか?力の存在に。

「『祭祀』ならこの街にとどまる。
 『人柱』ならこの場所に封じられる。
 なら『番人』になったら?」
 言葉を失った名雪の代わりに、舞が訊ねた。

「そうなったら・・・肉体を失い、次の『番人』が現れるまで
・・・力つきるまで、ここを守る役目を背負わされることになるわ」
 秋子は俯き、拳を握り、瞳から溢れ出す熱いものを必死でこらえていた。

「秋子さん・・・まさか先代の『番人』って・・・?」
 佐祐理の脳裏にある想像がわき起こっていた。

 秋子の態度、18年前、そして名雪の存在。これらの事象が佐祐理の中で重なり合う。

 言いたくはなかった。

 しかし不思議にも唇が勝手に言葉を紡ぐ。

「そう・・・あのひとは、私がこの世で愛したたった一人のあの人
・・・全ての命のために、娘に顔を覚えられる前に、
・・・・・・この世を去らなければならなかった人」
 潤む瞳が名雪を捕らえた。

「その人が・・・」
 全身を震わせながら名雪が秋子を見る。

「そう・・・あなたのお父さんよ」


 その場の全ての者が言葉を失う。

 瞳を押さえ、崩れ落ちる秋子。


 名雪は何も言えないまま、ただその場に立ちつくすしかなかった・・・


「・・・CHAOSさん、祐一はどこへ?」
 だが、やがて俯いていたままの名雪が面を上げ、CHAOSを見た。

 その瞳は決意に満ちあふれ、普段の名雪からは想像もつかないほどの凛々しさに満ちていた。

「行くのですか・・・そうですね。
 やはりあなたはあの方に、お父上によく似ていらっしゃる。
 大切な人のために命を賭ける、その気高き精神を受け継いでおられる。
・・・あなたの求める人はその人が出会った最も近しい死の星座にいるはずです。
お受け取りください」
 感慨深げに目を細めCHAOSは名雪を見た。

 そして祐一が手に入れたのと同じ、黒曜石の星図を手渡す。そして名雪が頷き、背を向けた。

「名雪・・・」
 秋子が顔をあげ、愛娘の姿を見つめる。

「お母さん・・・祐一は私を助けてくれた人だから・・・だから、私行くね。
 私はいっぱい祐一に助けてもらった。いつも支えてくれた。
・・・・・・だから、今度は私が、祐一を支えるよ」
 そして歩き出す名雪。

「そう・・・そうね。行きなさい名雪。
 そして・・・出来るのなら祐一さんを運命から救ってあげて。
 あなた達にならできるかもしれない・・・私達が出来なかったことを」

「うん・・・そうだね。いってきます」
 名雪は走った。

 その先に何があるのかも解らず・・・ただ、がむしゃらに・・・


         6


 ホームは駅の華やかさとは裏腹に、どこか薄暗く古ぼけていた。

 青白い水銀灯の輝き、微かに漂うコンクリートの匂い。

 落胆と失意の表情に満ち満ちた旅人達が頭を垂れ、
 ある者はホームの上にうずくまり、
 またある者はベンチの上で虚空を見つめ、
 己の真の終焉に至る旅路を絶望に満ち満ちたる心で、ただ「待ち続けて」いた。

「くそっ・・・」
 祐一とぴろはそんな人々の合間を縫って、跨線橋の中を走っていた。

 それぞれのホームへと至る階段の上には、列車の発車を告げる案内板がつけられていた。

 狼、ケンタウルス、サザンクロス、八分儀・・・
 ・・・幾つもの星座の名を冠す目的地の名前。

 そして時刻が記されていなかった。
 考えてみればここは駅でありながら時刻表はおろか時計すらもなかった。
 それはここが時が意味のない世界であると暗に示しているのだろうか・・・・・・

「落ち着け・・・あいつが、まだいるのなら・・・その列車とやらに乗り込めば」
 祐一は必死に真琴の記憶を辿っていた。

 何か、真琴の居る場所へたどり着く手がかりがあるはずだった。そして・・・

「ここか!?」
 何本めかのホームにたどり着き、案内板を見上げる。

−子狐の丘−

 そう記されていた。先程渡された黒曜石の案内図を見る祐一。
 真琴は『妖狐』であったという。
 子狐座という星座の存在も何処かで聞いたことがあった。

「子狐・・・まさか?」
 真琴のかつての姿であった一匹の子狐が祐一の脳裏をよぎる。

 跨線橋の窓からは輝く粒子を煙突から囂々と吐き出しながら出発を待つ機関車が見えた。
 そしてそれに繋がれた客車がそのホームにいる姿が見えた。

「ふみゃあ!」
 ぴろが祐一の肩から降り立ち、ホームに繋がる階段へと駆けていく。

「当たりか・・・」
 そして祐一もそれを追って走り出した。



 祐一達が降り立ったホームは『何か』が違っていた。

 そう・・・言うとするならば『空気』や『雰囲気』と言われるものが。

 列車を待つ人々は人であって人でない存在・・・そうとも思えてくる存在だった。

 俗に言う「物の怪」の類が集まる場所とでもいうのか。

 それを裏付けるかのように人の姿をしている彼等は、どこか違和感があった。

「・・・真琴もそうだったからな」
 呟き、祐一はホームを見回してみた。そして祐一は見た。

「・・・・・・・!?」

 1人の少女が立っていた。

 微かに吹く風に亜麻色の髪をなびかせ、

 頭の上には細目の猫を乗せ、

 黒い瞳は祐一を捕らえて離さない。

「・・・・・まさか?」

 予想はしつつもあり得ないはずのその存在、

 遠い記憶の中にしか存在しないはずの少女の姿。

 唾を飲み込む音が聞こえる。

 暴走した蒸気機関のように胸の鼓動が速まるのが解る。

「・・・・・・・」

 少女はやがて視線を外し、開かれた列車の扉に足を踏み出す。

−ジリリリリリリ!−

 刹那、列車の出立を告げるベルが響く。
 少女は列車に足を踏み入れ、祐一も後を追って列車に飛び込む。
 音もなく扉が閉まり、汽笛が一際大きく鳴り響いた。



 デッキから祐一は列車の中へ足を踏み入れた。
 天井に取り付けられたガラスのような球体から発せられる光が客車の中を照らしていた。
 低い呻りをあげて天井に取り付けられた扇風機が回っていた。

 祐一は歩みを止めて車内を見回す。
 目的の人影はすぐに見つかった。他にだれも客はいない。

「・・・・・・・」
 人影の側まで歩き、祐一はその後ろ姿を見つめた。

「来たんだね・・・」
 少女が立ち上がり、祐一を見つめる。

 微かに悪戯っぽい笑みを浮かべ、祐一を見つめる少女。
 記憶と相違ないその少女の姿に、祐一の目尻が熱くなる。

 消えたはずの少女。

 遠い過去の記憶。

 少女の想い。

 それらが奔流となって祐一の心にあふれかえる。

「真琴・・・なのか」
 辛うじてその言葉だけを祐一は絞り出した。微笑む真琴。それは無言の肯定。

「昔なら・・・あんただけはゆるさないんだから!なんていったね」
 くるりと身を翻し、真琴は笑った。わきあがる感情を抑えきれない祐一。

「真琴っ!!」
「わ・・・祐一?」
 真琴の体を抱きしめる祐一。細い体がおれそうなくらいに力強く。

 止めどもなくあふれる涙が頬を伝う。
 あふれ出る感情の奔流に押し流されながら、祐一は真琴を抱き続けた・・・


         7


「・・・悪い。何やってんだろうな、俺は」
 真琴の体から離れ、涙を拭う祐一。

「全く、いっつも祐一は勝手なんだから」
 ぷいと横を向き、真琴が頬を膨らませた。

「謝るって、それより座らないか?」
 そんな彼女の様子を微笑ましげに見つめながら、祐一が手近な椅子に腰掛けた。

「しょうがないんだから・・・」
 真琴の口調は呆れつつも、目は笑っていた。向かいに腰掛ける真琴。
 それでも祐一の顔を見ているのが照れくさいのか、視線は窓の外に向けられていた。

「真琴・・・覚えているか?」
 窓の外を見つめながら祐一が呟いた。

 そこはまさしく漆黒の虚空という形容がぴったり合うような光景だった。
 窓の外には闇が広がり、その中を貫く一本の光の矢がこの列車の線路なのだった。

「何を?」
「色々と・・・初めて出会ったときのこと、
 お前が毎晩毎晩悪戯してきたこと・・・名雪と秋子さんのこと、天野のこと・・・」
 ガラスに映る自分と真琴の顔を交互に見つめながら、祐一は言う。

「汚れた毛布を被って、祐一に殴りかかって
・・・でも、すぐにお腹がすいて倒れちゃって、
 悔しいから毎晩祐一の部屋に行って、
 それでもすぐに返されて、
・・・・名雪と秋子さんがいつもしょうがないなって笑ってて・・・思い出したらなんかむかついてきた!」

−ぽかっ!−

 真琴が祐一を小突く。
 それでもその小さな手で作られた拳は軽く、さしたる痛みも感じられない。
 その弱いパンチが、なにか祐一の心に響いた。暖かく・・・そして哀しく。

「そうだな・・・」
 ガラスに映る真琴の顔が、ぷんとむくれていた。そんな真琴の顔をただ見つめる祐一。

「そして・・・真琴の何かが壊れていって・・・

 まるで手の上の水が指の隙間からこぼれていくみたいに早く・・・

 握りしめても、押さえても、それを止めることが出来ないのと同じように、

 それでも、失いたくなくて・・・祐一にすがっても、美汐にすがっても・・・どうしようもなかった」
 真琴が顔を背けた。

 言葉はいつしか嗚咽に変わり、祐一が見ることの出来ない真琴の顔は涙に染まっていた。

「真琴・・・・・・今でも俺が憎いか?」
 あえて真琴のその姿を見ようとはせずに、祐一が訊ねた。

「憎いよ・・・憎い!すごく憎い!」
 つぶらな瞳に涙を一杯に溜め、真琴が叫ぶ。

「祐一が・・・祐一がいたから!
 真琴はいつまでも『こんなところ』に!どうすることも出来ないで
・・・こんなところに・・・」
 叫びはやがて嗚咽へと変わり、真琴が子供のようにうずくまる。

「真琴・・・」
 祐一は真琴の隣に腰掛け、そんな真琴の肩をそっと抱く。

「憎いんだから・・・憎いんだから・・・」
 真琴は逃げようともせず、ただ繰り返していた・・・




 どれほどの時間が経ったのだろうか?
 ほんの瞬きほどの時であったように短くも、
 或いは星の巡りを一晩中眺めていたように長くにも感じられた。

「虚空の・・・闇・・・何もない所」
 窓の外の景色を見つめながら、真琴が呟いた。

「いや・・・そうとも限らないみたいだぞ」
「?」
 祐一が指した先には、微かに輝く「何か」が見えた。

 それは一つだけではない。
 闇に目が慣れてくるにつれ、乱舞するかのように輝く光の群が2人の視界に飛び込んできた。

「星・・・か?」
 それは夜空に浮かぶ星のようにも見えた。

 だがそれらは明滅することなく光を放ち続け、漆黒の空間に漂っていた。
 そしてよく見ると列車に併走して列車の行く「先」へ向かって流れていた。
 さながら夜空を駆け抜ける流星群のように・・・・・・

「星・・・じゃないよ」
 真琴が抑揚のない口調で言った。

「どういうことなんだ?」

「あれはそんないいものじゃない・・・命の残りかす。死を受け入れて、還ることのできる幸せな命のなれの果て・・・」
 流れる光を見つめながら、真琴は言った。



「祐一、ソウラスっていうものを知ってる?」
 唐突に真琴はそんなことを訊いてきた。

「ソウラス?」
 聞き慣れない言葉に首を傾げる祐一。

「あそこに浮かんでいるゴミのこと」
 真琴が光の粒子を見つめながら言った。

 ただその様子は何故かゴミと言うよりも、子供がショーウィンドウの中の玩具をうらやましげに見つめているかのように見えた。

「ゴミって・・・あんなに綺麗なのにか?」
 祐一にはゴミとはどう考えても思えなかった。

 闇の中で光を放ち続けるソウラスというその粒子は、いかなる宝石にも勝る珠玉の輝きだった。

「綺麗?・・・そうだね、そうかもしれない・・・・あれは命だから」
「命?」
 祐一が問い返す。

「そう、命・・・マンガに出ていた魂って言う方が当たってるのかも。
 あれはね、死んだ命がソウラスに還って『あるべき所』へ向かっているんだよ」

「あるべき所?」
 怪訝な顔の祐一とは対照的に、真琴は淡々と続ける。

「命っていうのは、心と体で出来ているんだって。

 そして死んだら、体はそれを生み出した『星』に還って、

 心(魂)はソウラスっていうあんなものに戻って、

『定められた』星に向かうんだって・・・それはどの命かによって違う。

 真琴はもののけだから、この列車の行く先へ行くんだよ・・・・・・
 そして『定められた』星で再びソウラスになる」

「つまりあれは・・・幽霊の最後の姿、なのか?」
 祐一には真琴の言っていることが完全には飲み込めなかった。

 しかし、列車に併走している光の粒子が死者の魂であるという事は何となくだが理解できた。
 そしてこの列車の行き着く先が魂達が最後に行くべき場所であるという事に、
 更に最後には『死んだ命は星になる』ということに。

「けどね・・・生まれてきた世界に対する思いが強かったら、そうならない。
幽霊として地上に留まり続けたり、星のソウラスの中で分解せずに残ったりする」

「死んでも死にきれない・・・そういうことなのか?」
 ならば真琴が今だこの姿で残っているという事は、今だ消えぬ思いがあるということなのか?

 かつて祐一の気まぐれで助けた子狐は、果ててもなお人の温もりにあこがれた。 不完全な人の体を手にして・・・
 そして再び消え果て、
 それでもなお消えぬ思いは魂の浄化、或いは成仏すらも赦されないと言うのだろうか?

 祐一は言葉を失ってしまう。

 全ては自分のせいだというのか?

 自分は真琴に死してもなお消えぬ呪いをかけてしまったのか?

 幾つもの慚愧の念が彼の脳裏を駆けめぐった。

「あの駅とこの列車はね『あるべき所へ還れない』人達が、
 死を受け入れて、還れるようにするための道しるべなんだよ・・・」
 真琴は淡々と言う。

「道しるべ・・・・・」
 祐一がその言葉を反芻する。

 真琴はかつて祐一の事を「たった一つの道しるべ」と呼んだ。
 今、自分は「道しるべ」の側に立っているのも同じだった。

−ならば俺は・・・何を真琴にしてやるべきなんだ・・・?−

 その想いのみが、祐一の頭の中で巡っていた・・・


       *


・・・そして列車は終着駅へと近づこうとしていた。

 併走するソウラスの輝きは近づくほどにその輝かしさを増していく。
 自分たちが光のトンネルの中を走っているのではないかと錯覚するほどに光に満たされていく。

「終わりの場所・・・か」
 真琴が呟いた。

 その先には小さな木造の駅舎と簡素なプラットホームが置かれた田舎の駅があった。
 やがて列車は音もなくその場所に止まり、そして扉が開かれた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
 2人は黙して語らない。

 ただただ気まずい沈黙だけが流れていた。

 だが時間は無情に流れ続ける・・・

 留まり続ける瞬間などありはしない。

 やがて真琴が立ち上がる。無言で歩き、ホームへと降りる真琴。

 そして祐一も真琴を追って降り立った。

 ・・・・・・真琴の真なる終の場所へと。

 そして2人は駅を出た・・・



 世界は金色に輝いていた。

 夕日に輝く稲穂の色にも似た草原が風になびき、なびかせる風はソウラスに彩られて金色に輝いていた。
 そして風の向かう先には一つの巨大な彫像が鎮座していた。

「あれは・・・?」
 それは巨大な狐だった。

 青く輝く瞳と金色の体を持ち、九つの尾を風になびかせる存在だった。

 何かの本で読んだ「金毛白面九尾」という狐の妖怪の名を祐一は思い出す。

 だがそれは、伝承にあるような妖気を発する災厄の象徴などではなかった。

 発せられる「気」は慈愛と温もりにあふれ、さながら我が子を迎え入れる母のような優しさを漂わせていた。

 何かの本で読んだ胎内回帰思想とやらはこの光景を見たものが生み出したものなのだろうか?
 そう祐一は思った。

「還るところ・・・目的地だよ」
 真琴が初めて祐一を見た。

「真琴・・・」
 真琴は笑っていた。

 真なる意味での死を待ち受けているとは思えないほどにすがすがしく、

 真夏に輝く太陽のように輝かしく、

 海から吹く風のように爽やかに・・・・・・真琴は笑っていた。

「真琴・・・俺は」
 祐一がそんな真琴に向かって必死に言葉を紡ごうとする。

 それでも、口は縛られたかのように言葉を発そうとはしない。
 真琴はそんな祐一に近づき、そして布に包まれた「何か」を手渡した。

「真琴はね、あんな中に還るのはいや。
 無に還って、真琴を形作ったソウラスが新たな命を造っても、それは真琴じゃない」
 真琴が祐一を見つめた。

「だからね、真琴は祐一と一つになるの」
 祐一をまっすぐに見つめ、真琴は言った。

「・・・・・・どういうことなんだ?」
 言葉の意味が理解できない祐一が問い返す。

「それを開けてみて」
 言われるがままに真琴から渡された包みを開く。

「短剣・・・?」
 それは黒曜石で出来た刃を持つ短剣ともナイフとも呼べる代物だった。

「それはね、ソウラスウェポンって言うんだって」
「ソウラスウェポン?」
 聞き慣れない言葉に祐一が首を傾げた。

「そう・・・魂を砕き、ソウラスへと還す力をもつ太古の兵器。
 ・・・これをくれた人がそういっていたの」
「魂を・・・砕く!?俺と・・・一つになる」
 その言葉に祐一がハッとなる・・・まさか、真琴の願いというのは?



「祐一、これで真琴を刺して」


 いともたやすく真琴は言った。真琴はナイフを取り、祐一の右手に乗せてその手を握らせる。

 そう、真琴の願いとは「魂を砕き、祐一の魂に吸収されること」だった。

 祐一の中で、真琴の魂は祐一の中に溶けていく。

 それが祐一と一つになり、一緒にいられる最後の方法だった。

「できるかよ・・・そんなこと!」
 狼狽する祐一。

「祐一・・・でも、そしたら真琴は魔物になるんだよ・・・ひとりぼっちで」
「魔物に・・・なる?」

 真琴は頷く。

「そう・・・祐一、この今いる世界の正体が何だか解る?」
 解るはずもない、祐一は首を振った。

「ここはね『造られた』世界なの・・・『誰か』の手でね」

「『造られた』?どういうことなんだ?」

「この死の旅路の世界はね、本当は何もない・・・ソウラスが流れるだけの場所なんだよ。
 でもね、いつの頃からかここには『番人』が住むようになった。
 死を受け入れられずに死んだ人が魔物になって、世界に迷いださないように。
 死んだ後も分解しきれない魂を、還る所に導くための」
 真琴の小さな手が祐一のナイフを握った拳を強く握りしめる。

「ということは、ここにずっととどまれば、お前も魔物になるってのか?」
 死を受け入れられずに魔物になったという話は枚挙に暇が無い。

 ならば、真琴もこうして彷徨って、いつかは魔物になるというのか?
 伝承にある、災禍をもたらす者に。

「・・・・・・・・・・」
 真琴は無言で頷く。

「番人といったな・・・まさか、お前にこれを渡したのも・・・・・・?」
 こくり、と小さく真琴が頷いた。

「でも、何か嫌だった・・・誰か知らない人にやられるのは。そう言ったらその人はこれを真琴にくれたの」
 真琴と祐一の視線が絡み合う。真琴はただただ微笑んでいた・・・


「真琴のために何かをして欲しいと思っているんでしょ・・・?」
 その声は優しく、そして穏やかだった。

「何故だ・・・どうしてその役割が俺なんだ・・・?」
 爪が掌に食い込むほどに強く拳を握りしめ、祐一は俯いている。

「悩むことなんかない・・・死は『誰しもが必ず』なることだから。
 だのにこうしてここにいるって事は、未練があるから」
 微かに真琴の口調が硬くなる。

「解っている・・・解っているさそんなこと!」
 祐一の拳からは血が滲みだしていた。

「真琴にかけられた呪いを解いて・・・祐一!」
 真琴が両手で祐一の腕を掴んだ。

「真琴の全てを、心を、力を、全て祐一にあげるから!!」
 時間がひどく緩慢に感じられる。

「そうすれば・・・・・いつまでも一緒だから!」
 真琴の笑顔が痛い。

「それとも・・・・・・真琴が魔物になる姿を見たい?」
「!?」
 真琴の影が、蠢いているように見えた。

 否、事実だった。

 真琴の影からはいくつもの悪霊が浮かび上がり、怨嗟の咆哮をあげていた。

「これは・・・まさか?」
「力の無い悪霊は力のある悪霊にすがろうとしている・・・・・
 真琴は妖孤・・・だから、真琴を『核』にして魔物が生まれる」
 ということは、真琴は必死でそれらを押さえ込んでいるのか?

「今は真琴の方が強い。でも、真琴を乗っ取ろうとしていっぱい悪霊が集まって来る」
 自分が魔物にならないように、必死で戦っているのか?
 そしていつか・・・魔物となって『番人』とやらに狩られるのか?

「それとも、真琴に祐一を殺させたい?」
「それは・・・・・・・」

 究極の選択だった。
 魔物に成り果てた真琴に殺されるか、それとも・・・

「それに、そうなったら、真琴はみんなを殺すかもしれない。
 祐一のほかに、名雪も、秋子さんも・・・」
 もう真琴は笑っていなかった。

 真琴の瞳は涙をたたえていた。

「お願い、祐一!!真琴は、そんなものになりたくない!!」
 それでも尚、真琴はひたすらに祐一の刃を求めていた。


「う・・・うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 祐一の絶叫。ナイフを握り締める祐一。

「畜生・・・・・・畜生ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
 振り下ろされる刃。



 とすん



 あっけないほど小さな音を立てて、黒い刃が真琴の胸に突き刺さった。


 黒い刃が突き立てられた刹那、真琴は笑った・・・無垢に、輝かしく。

 これほど美しい微笑を生涯見ることはあるまい、そう思わせるほどの。
 それは真琴の最後の微笑み。

−アリガトウ−

 そんな言葉が聞こえた。

 だがやがて真琴の体は光り輝き、風に吹かれる桜の花びらのように散華してゆく。
 光の粒子のいくつかは風に吹かれるように狐の像に吸い込まれていく。

 そして・・・・・・

「真琴?」
 真琴を形作っていたソウラスが祐一の周りに浮かんでいた。

−真琴は祐一とひとつになるの−
 不意に真琴の言葉が思い出される。

「遺言か・・・いいぜ、来いよ真琴。俺と一緒に行こう。
 お前が見られなかったもの。
 お前が出会うことのできなかった人。
 ・・・それを感じるために、俺の中にずっといろ。
 そして俺と一緒に行こう。それが・・・・・・俺に出来る最後のことだと思うから」
 祐一の周りのソウラスが、その言葉に反応するかのように祐一へと吸収されていく。

−祐一−
 吸収されるソウラスと共に、真琴の声が聞こえる。

−祐一には、やるべきことがある−

「なんだよ」

−名雪を、守ること−

「?」

−名雪も、この世界に来た−

「あいつが?」

−名雪だけじゃない、秋子さんも、私の知らない人たちも−

「みんなが・・・」

−その人たちを、救ってあげて。
 ここに囚われた人たちの、宿命を解き放ってあげて。
 そのために、真琴の力をあげるから・・・・・・−

−こんないい力を手に入れたんだから、
 幸せにしてあげなきゃ承知しないんだから・・・・・・−

 不思議な感覚だった。

 肉体が活性化し、今まで感じもしなかった力がわき上がってくる。

 真琴の妖力とやらを受け継いでいるのかもしれなかった。

 やがてソウラスの全てが祐一の中にそそぎ込まれ、祐一は立ちつくしていた。

 虚ろな心で、ただただ空を見つめていた。

 零れ落ちる涙の雫に、気がつくことなく・・・・・・


         8


「・・・・・・祐一」
 後ろで聞き覚えのある声がした。

 振り向くまでもなかった。従姉妹にして恋人の少女がその場に立ちつくしていた。

「俺は・・・何もしてやれなかった」
 祐一はその場に膝をつき、真琴に突き立てた黒い刃を握る。

 流れ出る血も、刃が骨まで食い込むほどの痛みも、どこか遠くに感じた。

「口先では好きだとかいってさぁ!」
 祐一の慟哭。

「何でもしてやるとかいってさぁ!!」
 慟哭はやがて嗚咽へと変わる。

「一緒にいてやるとかいってさぁ!!!」
 心からの絶望を、祐一は叫ぶ。

「・・・・・・最後は・・・俺が・・・この手で!!!!」
 涙と血にまみれた手で、祐一が地面を殴りつける。

「祐一!!それは違う!!」
 祐一の手のナイフを奪い、名雪がそれを押さえようとする。


「俺には、女の子を好きになる資格なんてなかった!
 ・・・・・・・俺さえいなければ!!
 ・・・あいつは・・・あいつは普通に『終わる』ことが出来たんだ!!
 ・・・なのにあいつ、笑ってた!!俺なんかのために!」
 両手で顔を押さえ、祐一が叫ぶ。

「違う!それは絶対に違う!!
 真琴は幸せだったよ!
 逢いたかった人にもう一度出会えたんだから!!
 大事な人の中で逝くことが出来たんだから!!
・・・・・・祐一は優しかったよ?最後まで真琴の側にいてあげたよね?
 最後まで、真琴の願いを叶えてあげようとしたよね・・・?」
 嗚咽が混じる名雪の声。


 溢れかえる涙をぬぐおうともせずに祐一の体を必死に抱きしめ、それでも名雪は懸命に言う。

「畜生・・・畜生・・・・うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

「やめて、やめてよ・・・・・・祐一ぃぃぃぃぃっ!!」

 天に向かって吠える狼のように、祐一と名雪は叫んだ。

 全ての思いを込めて・・・

 真琴への・・・最後の気持ちを込めて・・・・・・


TO BE CONTINUED......

次回予告

 誰もが生きる上では後悔を背負い、そしてそれはその人の人生に影を落とします。
 佐祐理・・・倉田佐祐理にも・・・そんなことがありました。

 佐祐理の無知と傲慢がかつて奪った命。
 その魂と佐祐理は、夜空の大河エリダヌスで再会を果たします。
 佐祐理は、その過去と真っ向から対峙することになりました。

 赦されるはずはない。そんなことはわかっています。
 それでも、出来ることならば償いたい。

 祐一さん達の前に現れたCOS-MOSという方は、その機会を与えるためにここにいるというのでしょうか?

 次回、" Kanon" side story "DEPART FROM THIS WORLD"

     第X章 霧の浅瀬

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