-NADESICO THE AFTER NOVEL "FOR THE LOVE OF FAMILY"-

最終話 『貴方と生きる未来のために』(前編)





A-part:『救い』は回帰と共に



煌々たる月光の輝きの下、潮騒が聞こえてくる。
 打ち寄せる波の他には何もなく、砂浜を湿らせてゆく。辺りには、生命の気配が何もなく、さながら命ある者を拒む結界ともいうべき様相を呈している。
 しかし、その中に在る命が一人。
 月光の下、女が一人立っていた。
漆黒ともいうべき足まで届く長い黒髪が潮風になびき、金色の輝きをたたえた瞳をそっと見開いた。
 女は、一糸纏わぬその白い肢体を、海へと歩ませる。
 打ち寄せる波が、彼女の白い足を湿らせた。
 
 不意に、女の眼前に小さな稲光のようなものが輝いた。
 次の瞬間、輝きの中から夜の闇よりなお深い暗闇が広がり始めた。
 暗闇はなおも広がり、その中に3人の人間を形作る。
 一人は、ローブを纏った老人。
 一人は、銀色の髪をツインテールにまとめた少女。
 一人は、黒い髪をオールバックにした少年。
 老人と少女達が対峙する。

 女は、その金色の瞳に何一つ憂うことなく、眼前の光景を見つめていた。
 慈愛を込めた菩薩の表情?或いは聖母の表情というのだろうか?
 何一つ感じることもなく、睨み合う老人と少女、そして少女を護るかのように立つ少年を見つめていた。


「お前達が・・・戦神なのか?」
 自分たちを見下ろすように宙に浮かぶ3人の老人達の姿を見つめ、アキトが呟いた。
「左様・・・我らは『宇宙の戦神』」
 老人が肯定の意を示す。
「そんな・・・これは」
 ハーリーが蹴られた腹を押さえながら、絞り出すように言った。
「ヤヲトメさんと・・・同じ?」
 ハーリーを助け起こしつつ、呆然とルリが呟く。
「八稚女か・・・懐かしい。最早87年にもなるか、奴の顔を拝んで以来・・・」 中央に立つ老人がルリ達の前に降り立った。
「成る程・・・やはりお前達なのか?ヤヲトメをオロチへと組み込んだのは?」 ショウが老人達に訊ねた。
「ショウ、それは一体?」
 アキトが老人達とショウを交互に見つめつつ訊く。
「オロチに残されたもっとも古い記録に、こいつらの顔が載っていた。今と同じ姿でな」
「じゃあ・・・この人達も人機融合兵器なんですか?」
 ユリカが老人達の顔を見渡し訊ねた。ショウが「恐らくは」といった様子で頷いた。老人達『戦神』は死が近しい肉体を人機融合兵器に自らを組み込むことで今まで生きながらえてきたのである。
 そもそも人機融合兵器のテクノロジーの基は生命維持装置にあった。己の力で生き延びることができぬ人間をサポートするための様々な臓器・・・それらを利用し、脳だけを生かし続けて今に至るのだ。
「何者ぞ・・・?」
 降り立った老人がショウとユリカの顔を見る。
「私は新統合軍独立ナデシコ部隊提督、テンカワ・ユリカです」
 凛としてユリカが答える。
「現在のオロチの長・・・ムラクモ・ショウだ」
 腕を組み、ショウが老人の顔を見た。
「我らの悲願を阻んだ女にヤヲトメの手の者か・・・」
 空に浮かぶ老人が言う。

「それは違います」
 透き通るような声が響いた。
「・・・貴様・・・七宝か」
 老人達の視線が一斉に一つに集まる。声を発したのはルリだった。
「あなた達はそう呼んでいるようですね」
「うぬが如何に思おうとて、うぬが七宝の一人であることに変わりはない。そこにいるのはシャコとハリか?」
 ラピスとハーリーを指さす戦神。
「かつてはそう呼ばれていた・・・今はラピスラズリ」
 ラピスが戦神を見つめた。
「だったらどうしたっていうんです?僕たちもあの2人のようにこれに組み入れる気ですか?」
 ハーリーが大樹のような形へと変容を遂げた遺跡を指さした。
「それが課せられた天命であろう?所詮貴様らなど作られた実験動物に過ぎぬ。今更ヒトとしての生に固執する理由があろうというのか?」
「あります」
 ルリが言った。戦神が興味深げにルリを見た。
「我らの目的は知っておるのだろう?今更何故抗おうというのだ?」
「あなた達を認めるということは、自分自身を放棄するということになります。培われた今までの全てをリセットしようなどと、私は認めません。
 今まで私が生きてきて培ったもの。様々な人々との出会い、そして紡がれた絆」
 アキトの、ユリカの、ハーリーの、ラピスの、ショウの、イネスの顔を見て、ルリは更に続けた。
「私はそうやって自分の生きる道を選ぶことを知りました。自分の居場所、私を支えてくれる人々の存在。だから私は私で在るまま生き続けたい」
「同時にそれが我らに抗う理由か」
戦神の問いに頷くルリ。
「ならば、我らとて理由を教えねばならぬ・・・来て貰おうか」
 戦神が手をかざした。同時にルリの体が青白く輝いてゆき、遺跡が蠢き始める。
「ルリさんっ!」
 アキト達が止める間もなく、ハーリーが駆け出しルリの体を抱きしめる。
「うぬも来るか?」
 今度はハーリーの体までもが輝きだした。
「何処へ連れて行くつもりだ!・・・何っ?」
 アキトが叫んだ。と同時に遺跡が太陽もかくやというほどにまばゆく輝き始める。思わず瞳を押さえるアキト達。
「ルリちゃん!」
 アキトが閃光の中に包まれたルリの名を叫ぶ。
「ハーリー君!」
 ユリカがそれに続く。
「・・・来て貰おう」
 閃光が極限に達したとき、戦神の声が脳裏に響いた。



形容のし難い空間だった。

 天は漆黒の世界を覆うかのように幾つもの星が瞬き、空間を照らしている。地は雄大なる大河が横たわり、流れる水音と魚達が跳ねる音が聞こえた。大河の河岸は伺うことができない。ただ、一つの方向に向かって流れるその流れが、かろうじて『川』であると思わせているだけだった。
 僅かに頬を撫でるような穏やかな風が吹く。風と共に幾つもの『臭い』が感じられた。物理的な臭いではない。それは生きる者たちの息吹とでも言えば良いのだろうか?風に乗ってある者の希望が、またある者の絶望が心の中に響くような、奇妙な感覚を覚えさせる。
「・・・ここは?」
 ルリは大河の中にある小さな、人が一人ようやく乗れる位の中州に一人で立っていた。隣の中州には同じようにしてハーリーが立っている。
「この感触は・・・?」
 ルリがこめかみを押さえる。強い既視感を感じていた。流れる川、跳ねる魚達・・・覚えはある。しかし思い出せない。何だというのだろう?
「あれは!」
 しかしその思考はハーリーの言葉により中断された。彼女の眼前へと浮かび上がる二つの影。
「メノウさん・・・サンゴさん?」
 磔にされたような姿のメノウとサンゴ。だが真に驚くべきは彼女たちが大河と同化しているような姿であることだった。彼女たちの姿は大河を流れる水と同じ色で、さながら水でできた彫刻のような姿だった。
「彼女たちがこんな姿でここにいるということは・・・ここは『遺跡』の中!?」

「それは正確ではない」
 戦神の声が聞こえた。彼らは宙に浮き、ルリを見下ろしている。次の瞬間、3人の姿が重なり、一人の老人の姿を形作った。最も2人にとっては最早驚くにも値しなかったが。
「正確ではない・・・?」
 怪訝な表情でルリが問い返す。
「お前の肉体は今、『遺跡』の外殻へと取り込まれているだけに過ぎない。ここにいるお前はいわばお前の『魂』と呼ぶべき意識だけだ。当然、今我々がいるこの場所も、お前の中にある潜在意識と『遺跡』が相互連鎖作用を起こして擬似的に形作られているだけにすぎない」
「潜在意識・・・?」
 ハーリーが怪訝な顔をする。
「・・・そうですね、既視感があるわけです」
 ルリが納得したように一人ごちた。彼女の中に在るもっとも遠い記憶。研究所の外から聞こえる、川の流れる音。そこを遡上する鮭の群。
「私の記憶と『遺跡』・・・」
 ここはいわば『遺跡』の動きをルリの潜在的な記憶を用いて具現化された空間なのだろう。流れる川は『時間』そのもの、遡上する魚達はレトロスペクトと化したヒトや空間ということなのか。
「鮭は川を上り、卵を産み付け息絶える。そして卵から新たな命が、再び川を下り旅立ってゆく」
 戦神が降り立ち、ルリと視線を合わせた。
「何がいいたいのですか?」
 ルリが大河の上に浮かぶ戦神を見ながら訊いた。
「我らはそれと同じことを成しているに過ぎない。お前達は無に還ろうとも、再びお前達の過ちを知る新たなヒトを生みだし、新たな歴史を形作ってゆくのだ」
 悠然と言う戦神。つまりはこういうことなのだろう。高天原と融合した『遺跡』の力を用いて、戦神は全ての歴史と存在をレトロスペクトへと分解して、ある一定のレベル・・・おそらくは遺跡が作られた時点まで収束させるのだろう。そしてレトロスペクトを再構成する『遺跡』のもう一つの力を使って、歴史や事象を完全に作り替える。つまりパンスペルミア(汎宇宙胚子論:フレッド・ホイルによって提唱された理論。生命の起源は宇宙にあり、かつて宇宙から降り注いだ有機物質が生命の起源であるというもの)となってそれこそ生命の歴史からやり直すつもりなのかもしれない。
「ヒトは過ちを犯しながら生き続けてきた。犯された過ちは正されねばならぬ。我らは、全てを救うのだ」
 その狂信的とも言える考えに閉口・・・否、絶句する2人。カルト教団の教祖とてここまでのことは言いはしないだろう。最も、自らを神の代行者などと考えている辺りはカルトに通じるところもあるが。
「過ちは犯したのかもしれない。だけど・・・かといって何で全てを否定する必要があるんです?過ちだと解っているなら、正していけばいいだけのことじゃないですか!」
 ハーリーが叫ぶように言う。ルリも凛とした物言いで、それに続く。
「私は、私であるために戦っています。今まで紡がれた絆のために、今を、そして未来を生きる人達のために。あなた方は何故それを否定しようというんですか?それどころか、過去も、現在も、未来も否定して一体あなた方に何が得られるというのですか?」

「・・・何故、そうまでしてお前達は抗う?」
 戦神の口調が穏やかになった。その言葉に、さながら子供に自分の考えを理解して貰えない親のような感情が混じっているように思える。それどころかその瞳にはむしろ哀れみすら見て取れる。悲しみの視線を向けていた。
「どういうことです?」
「『遺跡』とは何であるか解るか?」
 ルリの問いに対して、唐突に質問を浴びせる戦神。
「ボソンジャンプの中枢制御装置ではないんですか?」
 素っ気なく答えるルリ。
「左様だ。だが、それだけではない・・・あれは、より高い次元の存在なのだ」 そう言い、戦神がルリの瞳を睨む。
「高い次元・・・?」
 一瞬ひるむが、すぐにいつものポーカーフェイスを作る。
「お前達とて、この4次元宇宙がある日を境にして始まったということは知っておろう?」

「ビッグバンセオリー・・・」
 ハーリーが呟いた。1954年、物理学者ガモフによって提唱された理論である。それによれば、かつてこの宇宙にはアイレム(YLEM)と呼ばれる原始物質による超高温、超高圧の空間に満たされ、150億年前に突如起こった宇宙規模の大爆発により、それらが変質して宇宙を形作る物質となり、宇宙は膨張を続けている。
「それが、何故始まったか解るか?宇宙一つを創造するほどのエネルギーの正体を、お前達は知っているか?」
 解るわけがない。首を振る2人。
「この宇宙を始めとして、無数の宇宙が存在する・・・それらは皆、ハイ・ディメンションと呼ばれる高次元の『存在』を構成する細胞の一つ一つに過ぎないのだ。ビッグバンとはその細胞分裂に過ぎない。また、イワトを調べ上げることにより我らは理解した・・・『遺跡』はいわばハイ・ディメンションの端末なのだと」
「端末・・・ですか?」
「何故に『遺跡』は時間と空間を超えて同一の存在でありえるのだ?」
 その言葉にはっとなるルリ。
「ハイ・ディメンションとは我らより一つ上の次元に存在するのだ。当然のことながら、我らはそれを知覚することはできない。しかし古代火星人は発見したのだ。ハイ・ディメンションに干渉する方法を・・・それが『遺跡』だ。
 もう解るだろう?ボソンジャンプはハイ・ディメンションによって行われる。『遺跡』はハイ・ディメンションの働きを制御しやすいように作り出されたいわば憑代(よりしろ)なのだ」
「だからといって・・・」
「話はこれからだ」
 ハーリーの言葉を制し、戦神は続けた。
「我らはハイ・ディメンションに、メノウとサンゴという媒体を使い『接続』することにより、様々なこの宇宙の生命の栄枯盛衰を見た」
 ルリとハーリーの前に、何匹もの魚が跳ね上がる。
「・・・これは・・・!」
「・・・・・・」
 それは、魚の形をした『時間』だった。空間が切り取られたように、魚に貼り付いている映像。
 燃えさかる惑星、死に絶える自分たちとは似ても似つかぬ生命。これは事実なのだろう。歴史を越えて存在するハイ・ディメンションと『接続』したのだから、いわば全ての宇宙を見通す目を持ったといってもいい。
「お前達もいずれはこうなるのだ。膨張を続けた細胞は再び分かたれ、最後には死んでゆく。熟れた果実が地に落ちて腐るように、鋼鉄が風雨にさらされて錆びゆくように、いかなる勇者も老いさらばえるように・・・
 宇宙という名の目で見れば、生命など儚い・・・」
 心底哀れむような視線を2人に向ける戦神。
「だからといって、たった3人のエゴが今生きている僕たちの運命を決める権利が何処にあるんですか!」
「私たちは自分たちの力で生きる権利があります。それを奪おうと言うのですか?」 反発する2人の声が重なる。
「運命からの脱却、自由か?だがそうすることに何の意味がある?自由の名の下に運命を切り拓く、傍目には希望あふれる行為だろう。
 しかし、その結果はどうだ?結局は自分を傷つけ、他人を傷つけ、何かを奪われ、何かを奪って生きていくことだ。それは歴史が証明しているだろう?」
その歴史を2人は身をもって知っていた。閉口する2人に、戦神は更に続ける。
「そんなことに何の意味がある?それに奪って得られたものとて、いつまでも己の手にあるとは限らない・・・それに気づかずに何かを奪い合う。所詮ヒトとはそういう悲しい存在なのだ・・・奪われ、悲しむだけの命なら、最初から無いほうがよい」
 戦神の瞳は、さながら孫を哀れむ祖父を想起させる。深い湖のような、夜空の濃紺のようなその瞳はむしろ潤んでいるかのように見えた。言葉を失うルリ。
「そんなことがあるものか!」
 ハーリーが叫んだ。
「人は傷つけ合うだけじゃない!赦しあい、助け合って生きていく!それが人だ!ルリさんは、ユリカさんはそれを教えてくれた!あなただって元は人なんでしょう?それが解りませんか?!」
 つかみかからんほどの態度でハーリーが叫んだ。
「作られた想いに惑わされたお前がそのようなことを言えるのか?」

 次の瞬間、再び魚達が跳ね上がる。
「・・・・・・!」
 言葉を失うハーリー。それは研究所で精神操作を施される自分自身の姿だった。「ヒトの想いなど、所詮その程度のものだ。外部からの干渉で簡単に形作られ、簡単に変わっていく」
「待ってください」
 ルリが割って入った。そのまま戦神を張り倒すのではないか、それほどの気迫が感じられる。
「私は彼の想いの始まりがどうであったかなど関係ありません。今、そしてこれから先に生きる絆があればいい・・・貴方に彼を否定する資格はありません」
 だが、戦神にとっては彼女の気迫など恐れるに足らない。臆した様子もなく言い返す。
「お前はその少年を愛しているとでも言うのか?」
 頷くルリを嘲笑するような目で見る戦神。次の瞬間、2人の中州の間から魚が舞った。

 それは、初代ナデシコに乗っていたときのルリの姿だった。そして・・・
「アキト・・・さん」
アキトに対しての想いに気がついたときの姿。ユリカに対する僅かな嫉妬。アキト達の葬式。アキトの写真を見ながら枕を濡らす日々・・・それらが幾つもの魚達の姿に映されている。
「お前は彼を愛していると言った。だがそれは心からの想いか?彼が作られた想いに惑わされたというのなら、お前は思い人を失ったその代償をそこの少年に求めていただけに過ぎない。
 それがいつかは諍いの元となり、結局は互いを傷つけ合うことになるのだ。そもそも愛などというものは、ヒトの種族維持本能と精神的空白を埋めるための代償行為を強引に正当化したものに過ぎない。遺伝子を組み替えてもそれが消えなかっただけのこと・・・下らぬまやかしにしがみつくな。
 お前達が得たものなど虚構に過ぎぬ。そしていずれかは『死』によって全てを失わなければならないのだ。そんなものに何の意味があるという?失うと解りながら、何故大切なものを得ようとする?・・・さあ、無に還ろう。そして新たな歴史を組み直すのだ・・・
 そうすれば、何も失うことはない・・・」

「無に・・・還ろう、か」
 天に浮かぶ星を遠い目で見つめるハーリー。
「確かに・・・かつての私たちなら、それに納得したでしょうね」
 ルリが魚達を見つめる。
「・・・どういうことだ?」
 戦神の問いに、2人は笑って答えた。現世の存在を越える、天使のような笑顔。「あなた達の言うように、確かに私は彼にあの人の『代わり』を見いだしていたのでしょう。彼の想いを利用していたこともありました」
 ルリが真摯な瞳を戦神に向けた。
「ならば、何故だ?」
「そんなことは、問題じゃないんです。きっかけなんて、どうでもいいんです。最初は代償行為であったとしても、洗脳だったとしても、人は変わっていくものだから」
 ルリははっきりと言った。その口調は静かだったが、戦神を萎縮させるほどの気迫があった。
「あの人は全てを受け入れてくれたんです・・・僕の過去も、洗脳されたという事実も。過去が問題なんじゃなありません。今生きているこの場所と、これから先に生きていく未来が大切なんです!犯された過ちを正すことは無に還ることじゃない!未来へと生きて、過ちを伝えていくことです!だから僕は生きる!過去なんか乗り越えてみせる!」
 凛とした声だった。何を成すべきか、自分はどうあるべきかを知るもの特有の、自信と躍動に満ちたハーリーの声。
『生きるために!』
2人の声が重なり、ルリとハーリーが一瞬視線を交差させ、そして笑い合う。大切な人のため、未来へと生きていくのだ。戦神はそれを察していた。決して相容れることはない。それは明らかだった。戦神が言葉を紡ぐ。それは低く、そしてはっきりと。
「・・・ならば見せてみるがいい。全てを乗り越えて進もうという、お前達の『愛』を・・・」



B-part 決戦は『始まりの地』で

  *
 戦神が両腕を尊大に広げる。
 次の瞬間、川の水が逆流を始めた。
「な・・・!」
 ハーリーが目を見張る。高さ数十メートルにもなろうという巨大な津波が眼前にその姿を現した。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 2人に逃げられようはずはない。瞬く間に波に2人の体が飲み込まれる。全身を引き回されるような感覚の後、次に感じたのは落下する感覚だった。
「・・・息が、できる?」
 ルリが最初に気がついた。水に飛び込んだ時の衝撃の瞬間が長く続いていると云えばよいのだろうか?否、水などとは言えない。ただ、自分たちが落ちていく周りに、幾つもの泡沫のように浮かび上がる世界が一瞬そう錯覚させたに過ぎない。そして泡沫のような世界は揺らめく影のように徐々に融解を初め、自分たちの周りが虚無そのものへと変容してゆく。
 落ちる、落ちる。遥かな過去へ向かって。虚空の中を落下する2人。そのあまりにも現実感のない光景は、今自分たちが存在していることすら疑わせる。
「ルリさんっ!」
「ハーリー君!」
 強く押し寄せる不安と恐怖。その中でどちらからともなく手を差し伸べ、互いの手を強く握りしめる。虚空の空間の中で、互いの手を通して伝わる感触、人の暖かさ。
 最も大切な人が今側にいる。そう思うことが2人を現実へと引き戻し、今起きていることは紛れもない現実なのだと認識させた。
「あれは・・・!」
 虚空の海を突き抜け、満天の星空が眼前に広がる。その中を乱舞する鳥達の群。それはあの魚達と同じ歴史の欠片なのか。鳥達の姿が消え、辺りは星空しか見えない。そして星のきらめきを消しさらんかのような、冷たくも凛と輝く月の姿が2人の前に現れた。月の中から影が飛び立ってくる。その正体は2人にははっきりと解っていた。
「来ましたね・・・」
「はい」
 ルリの前に一歩踏みだし、彼女を護るかのようにハーリーが立つ。その瞬間、全てがはっきりと現実の姿になった。

 2人は波打ち寄せる浅瀬の上に立っていた。僅かな冷たさを残す海水が2人の足を濡らしていた。それが肉体を今得ていることに気づかせた。
「幽体離脱は終わったみたいですね」
 ルリが自分たちの眼前に立つ戦神を見据え、ブラスターを構える。戦神は最早ホログラムではない。実体を取り戻している。歴史をも再構成する力を得た戦神のこと、肉体の再生など容易なことだった。
「なぜ、こんな所に連れてきたんだ?」
 ハーリーが木連式柔の構えをとる。右拳を前に突き出し、左拳を下げ、中段に構える正拳突きの構えだった。
「ここは人類発祥の地だからだ」
 戦神が右腕を砂浜に立つ人影に向けた。
 一人の女が立っている。
「・・・何・・・?」
「これは・・・?」
 ルリとハーリー、2人の心が大きく乱れる。砂浜に立ち、全てを見通すような金色の瞳。一糸纏わぬその姿、すらりとした一切の無駄のない肉体、目鼻立ちの整った顔立ち、羚羊のようにすらりとした足、形の整った胸。腰まで届く長い黒髪が、潮風に吹かれてたなびく。
−懐かしい−
 2人の心はそう感じていた。遺伝子の遥か奥底に刻まれた記憶。組み替えられた遺伝子を持とうと、彼等はヒトであることには他ならない。それはここが海、即ち生命の始まりの場所。そして・・・
「母・・・」
 ルリが絞り出すように呟いた。何故そのようなことを云ったのかは解らない。ただ、自分自身にも思い出せない遠い記憶が、彼女にそう言わせたのか。
「その女の名は・・・あえて呼ぶとするならばミトコンドリア・イヴ。原初のヒトにして、全ての母だ」
「どういうことなんです・・・?」
 構えを作りつつも、訳が解らぬといった表情を示すハーリー。
「全ての動物細胞に含まれるミトコンドリア・・・これの遺伝子を調べることにより、遺伝子の変化の度合いから進化の系統図を描き出すことができるのだ。それを人間に対して行った結果が、そこにいる女だ。ヒトはその女よりこの地で生まれ、全世界へと広がっていったのだ・・・アウト・オブ・アフリカ説と呼ばれるものだ」
 戦神がローブの下から一本の槍を取り出し、ハーリーの足下に投げつけた。そして自分は巨大な鎌を取り出し、2人にその切っ先を向けた。
「まるで死神だな・・・」
 槍を引き抜き、構えるハーリー。思ったより軽い。
「全ての存在の始まりである海、そしてイヴの膝元・・・全てを否定するか、或いはお前達のように生きてゆくか。決着を着けるのにここほどふさわしい場所はなかろう?」
 僅かに笑みをたたえた口調で戦神が言った。
「そうですね」
 ルリがブラスターを戦神に向け、トリガーに手を掛けた。
「・・・始めましょうか」

 銃声が、最終決戦の幕を上げた。


 撃たれた銃弾は、戦神の前で弾かれた。ルリの顔に僅かな焦りが浮かぶ。
「よもやこのようなもので我を倒せるとは思うておるまい?」
 その様子を読みとった戦神が見下すように言った。
「ああ、そうですよっ!」
 隙を突くように、ハーリーが走り込み、その槍が連続で突かれる。鎌で槍を受け流す戦神。カン、カンといった刃がぶつかり合う音が響く。
「はっ!」
 槍で牽制しながらも、足払いを仕掛けるハーリー。
「笑止!」
 素早く戦神は後ろに下がり、体勢の崩れかけたハーリーに向けて鎌を振り下ろす。
「くそっ!」
 とっさに槍で鎌を受け止める。槍と鎌がぶつかり、2人が力任せに押し合う。
「はあああああ!」
「くぅぅぅぅぅ!」
 しかし体格の差からか、力比べでは戦神に分があった。押し切られてハーリーが片膝を着く。
「頭を下げて!」
 ルリの声と同時に、再び撃たれるブラスター。言われたとおりに頭を下げたハーリーの頭上を弾丸が掠めてゆく。しかしそれも無駄に終わり、戦神の顔の前の空間が僅かに歪み、ディストーションフィールドが弾丸を弾いた。
「たぁっ!」
 ルリの攻撃による隙をつき、ハーリーが戦神の鎌を弾いた。再び2人の間に距離が開く。

 戦いは一進一退だった。バックアップを務めるルリのブラスターは全て戦神のディストーションフィールドに弾かれ、突き出されるハーリーの槍はディストーションフィールドの死角を突くものの、鎌に受け止められてダメージを与えるには至らない。
 2人は手詰まりだった。
「く・・・そう」
「・・・・・・」
 ハーリーは息があがり、ルリの額には脂汗が浮かんでいる。
「その程度なのか?お前達が信じる未来とやらは、この程度で屈するのか?」
 戦神が鎌を振り上げる。刃の先にはハーリーの体があった。
「片腹痛いぞ!」
 振り下ろされる鎌、体をひねってかわすも、右頬が僅かに斬られていた。なおも攻撃を加えようとする戦神に向かって、ルリの銃弾が・・・
「・・・・・・!」
・・・撃たれなかった。
 弾切れ、正確にはエネルギー切れだった。銃である以上は弾丸がなければ意味がない。単なる箱だ。
「先に力つきたな!」
 瞬間移動したとしか思えないような素早さで、戦神がルリの眼前に移動する。「ルリさんっ!」
 戦神はルリの首筋を捕らえ、左腕一本で高々と持ち上げる。
「く・・・ううう」
 ルリの表情が苦悶に歪み、力の抜けた右手からブラスターが落ちた。しかしそれを黙って見ているほどハーリーも甘くはない。
「その手を離せ!」
 槍を構え、戦神に向けて突き出す。
「ぬっ!」
 鎌で受け止めるも、片手で持っていたことが仇となり、鎌を取り落とす戦神。「ああああああっっ!」
 そして突き出された槍の威力はまだ消えていなかった。
「何っ!」
 戦神にとってもこれは誤算だった。この小さな少年によもやこれほどの力が・・・?
 獲物を襲う獅子を思わせる形相のハーリー。初めて戦神の表情から余裕が消えた。刹那とも永遠ともとれる時の中で、突き出される刃が戦神へと近づく、ハーリーの顔には一切の迷いがなかった。


「ハーリー・・・君」
 ルリの顔が微かに綻んだ。作られた想いに惑わされた弱い姿など微塵も無い。ただ、自分の信じるもののために刃を振るう姿。
「この姿・・・」
 それを見た戦神には不思議な安堵があった。全てを知り、ヒトに絶望して幾星霜・・・しかし何かを思い出す。
「・・・かつての、己か」
 ようやく戦神は悟った。自分達は今まで迷っていたのだ。己の成してきたことが正しいのか過ちなのか。機械に我が身を委ねて己の殻に閉じこもり、忘れていた思い・・・未来を創ろうとするヒトの意志。
 結局、自分達は待っていたのだろう。あやふやな自分たちに、渇を入れてくれる彼のような存在を。

 だから抵抗はしない。気を収めた瞬間、ハーリーの気が全身を覆った。
「その人を、離せっ!」
 突き出された槍がルリを掴む腕を切り裂き、痛みからルリを取り落とす。
「これで・・・終わりだ!」
 若き獅子は再び、戦神へと牙をむく。

「未熟な力だ・・・」
 戦神はそう思う。それでも、戦神にとってはまばゆいほどのものだった。
自分たちのように運命を否定するのではなく、運命を打破してゆく。どちらが正しいのかなど誰にも判ろう筈はない。
 だが、それで良いではないか。そう戦神は思った。所詮真実などヒトの数だけ存在する。自分達が正しかったか彼が正しかったかはこれから先のヒトが証明することになるだろう。
「老兵は去るのみ・・・か」
 防御を解く、隙だらけの姿を晒した。

「終わりだ、戦神ぃ!」
 咆吼一発。
 白銀の槍が月光を受けて輝く。
 槍が深々と、戦神の右肩に突き刺さった。
 返り血が海を赤く染めた。

中編へ続く。


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